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満州など日本とはとても縁の深い街★アカシアの大連★
  年配の日本人旅行者がよく訪れるという大連。昔満州に住んでいた人達がもう一度見ておきたいと訪れることも少なくないという。終戦から60年以上経ってもまだ残っている日本統治時代の建物や社宅を見て、走馬灯のように思い出がよみがえっているのではないかと思います。

戦前の大連はとても華やいでいた浪漫の詰まった街であったそうで、星ヶ浦ヤマトホテルでは水着を着てビーチを楽しんだり、テニスをしたり・・・まるで南仏のようだったと。ダンスパーティーがあったりドレスを着てハイヒールをはいたり・・・。映画館では日本で上映されていないものも色々あったそうです。李香蘭のドラマを見てから随分興味を持ち、大連の昔を知っている方達に色々お話を伺って、ようやくこのページも出来ました。少しでも楽しんでいただければ幸いです。もし事実と異なっている点などありましたら、メールをいただければと思います。


 @大広場(現:中山広場)
 A満鉄関連施設 〜本社や病院他〜
 B大連港
 C大連駅
 D周水子空港
 Eロシア風情街 〜満鉄の社宅〜
 F日本風情街 〜南山&高爾基路〜
 G日本統治時代の建物
 Hその他 〜気になった建物〜
 I星ヶ浦(現:星海公園)
 J大連のレストラン
 KショッピングSPOT
 L大連市内のホテル
 M大連の雑誌・本・絵葉書・お土産など


 ※大連の昔の絵葉書:ICCS
 @大広場(現:中山広場)


大連の象徴ともいえる中山広場。直径213mで、10本の道が放射状に延びています。1899年の建築当初はニコラヤフ広場と呼ばれていたそうです。上海の外灘と似ていて、当時の欧米風の建築が集まっています。それぞれの個性が競合せずに調和しているのが素晴らしいです。

それにしても、よく中国という国がこれだけの建造物を残し、使っていてくれるなぁ〜と思いつつ、昔から日本人って凄かったんだなぁ〜と思いました(笑)。中国風に変化していないことは何より驚きです!

 
@朝鮮銀行大連支店(現:中国工商銀行中山広場支行) 住所:中山広場1号



1920年に建設されたルネサンス様式の建物。正面には6本の円形柱がある。鉄筋煉瓦造3F建で延床面積は5,278u。設計者の中村與資平(なかむら よしへい)は、朝鮮・満州及び静岡県などで、銀行や公共施設の設計を手がけている。

※中村與資平さんの作品
 ・中村與資平記念館別館 (HP)
 ・旧浜松銀行協会特集
  中村與資平プロフィール (HP)
 ・静岡県の建築(HP)
 
A大連警察署、大連民政署(現:遼寧省対外貿易経済合作庁、シティバンク) 住所:中山広場2号
 
1907年8月1日着工。建物は時計塔をドイツの市庁舎を参考にしたゴシック様式。設計者は関東都督府土木課の前田松韻。前田は中国東北地方に渡った最初の日本人建築家。大連の民間建築に一定の規模と耐火構造を求めた建築規則の草案作成にも参画するなど、大連の都市建設に大きな影響を残した人だそう。

時計台の中央あたりにcitibankというロゴがあったので、これも日本人の設計だとは思わなかったのですが・・・。この広場の中では少し変わった印象のある建物です。延床面積は2,000u。


 
B英国領事館 住所:中山広場3号  現存せず。現在は大連金融大廈があります。
 
C大連ヤマトホテル(現:大連賓館) 住所:中山広場4号



1909年6月の施行から5年の歳月をかけ1914年3月に竣工、同年8月1日に大和ホテルとして営業を開始。南満州鉄道が経営したヤマトホテルのチェーン系の中でも大連ヤマトホテルは最も格別。建物正面は花崗岩のルネサンス様式。当時から蒸気暖房やエレベーターも設置されていたとのこと。設計者は満鉄技師の太田毅とする説が有力視されている。正直ホテルの施設のみで見たら、ラマダホテルなど他の方が良いけれど、歴史建造物に泊まるというのもロマンがあり良いものです。子供の頃によくここでコーヒーを飲んでいたという知人の方は今でもコーヒーが大好きで豆からひいて楽しんでいらっしゃいます。
2Fには大和クラブという喫茶店(夜はクラブ)がありますが、ここからは中山広場の素晴らしい景色が一望できます。

★耳寄り情報 (2010年2月時点)
【100周年特別企画】  
2009年から施工100周年を祝って、大連賓館が秘蔵する数々の逸品を特別展示、貴賓室・宴会場・特別室の見学などを行っているとのこと。

入場料:50元/人、館蔵陳列室・館内見学時間: 8:30〜17:00
→→→詳細はHPをご覧下さいませ。
 
D大連市役所(現:中国工商銀行大連市分行) 住所:中山広場5号


1919年8月、日本建築の意匠が随所に取り入れられて建てられた建物。玄関は唐破風、塔屋は京都祇園祭の山車をイメージしたとされる。設計者の松室重光は関東都督府土木課の課長で、京都府技師時代に社寺建築の保存修復にも業績を残しているそう。 述床面積も9,870u。 ここで不思議なのは、どうして工商銀行の支店がこの中山広場に2カ所もあるかということ。

※松室重光さんの作品
 ・京都府庁旧本館(重要文化財) (HP)
 ・京都市文化観光資源保護財団 (HP)
 
E東洋拓殖株式会社大連支店(現:交通銀行大連市分行) 住所:中山広場6号


1936年に大日本帝国による朝鮮の植民地経営を進めることを目的として設立された国策会社・東洋拓殖株式会社の大連支店。設計者の宗像主一は、中山広場の対面に立つ朝鮮銀行大連支店を設計した中村與資平の弟子。下層に連なるアーチ窓にアメリカ商業建築の影響が見られる。1951〜57年まで中国共産党大連市委員会庁舎として、その後は市政府の分庁舎として使用されたそう。 延床面積は8,105u。

東洋拓殖株式会社は、1908年当初は漢城(日韓併合後、京城に改名→現在のソウル)に本店を置き、朝鮮の土地5700町歩を所有して、日本からの移民と開拓をその事業として掲げ、1917年に本店が東京に移されると共に満州まで広げ、大連支店もできたそう。


 
F中国銀行大連支店(現:中信銀行中山支行) 住所:中山広場7号


1910年6月、大清銀行(清国)の大連支店として建てられたルネサンス様式の建物。中央の塔屋にはフランス風のマンサール屋根を載せている。1912年の中華民国成立に伴い中国銀行へ改称。戦後は大連市教育局庁舎、現在は中信銀行中山支行。延床面積は1,762u。

写真の建物の右奥に見える大連銀行(男性の広告の下の建物)。これは1910年に建設された旧台湾銀行大連支店で、現在は大連銀行中山支店(人民路6号)として使われている。こちらは真四角に近い形をしています。
 
G大連人民文化倶楽部 住所:中山広場8号


ソ連軍がまだ旅順・大連に駐屯していた1950年にコンサートホール兼劇場として建設。日本統治時代にも映画館・小劇場はあったが、これほど大規模な文化施設は建設されず、現在も大連市の主要な文化施設として利用されている。設計はソ連チームで、リーダーはベラルーシ人。第二次世界大戦後に流行した対称設計を採用し、円形の天上と洋式彫刻的な舞台アーチが特徴。現在の収容人員は970席。

去年の12月には女子十二楽坊が演奏したそうです。他にもロシアのバレエ団など数々の芸術作品が行われています。
 
H横浜正金銀行大連支店(現:中国銀行大連分行) 住所:中山広場9号

1909年12月12日に建てられた、3連のバロックドームを持つタイル貼りの建物で、大連賓館(旧ヤマトホテル)と中山広場を挟んで向き合っている姿は本当に素晴らしいです。

基本設計は日本で妻木頼黄(ジョサイア・コンドルに学ぶ)が行い、弟子にあたる満鉄技師の太田毅が図面を元に実質設計を行ったそう。現在は、夜になるとライトアップされるのですが、後ろの高層ビルに文字などが映し出されたりして、更に鮮やかに見えます。上海の外灘とは異なり、日本人が頑張った姿を思うと、何故か泣けてきてしまいます。銀行の営業時間内であれば中に入れます。
 
I関東逓信局(現:大連市郵政局) 住所:中山広場10号


1917年に松室重光によって設計された関東逓信局(関東州での郵政事業を担当)の庁舎だった建物。戦後はソ連軍が接収。現在は大連市郵政局が使用している。中山広場を挟んで反対側には同じく松室が設計した旧大連市役所があり、向かい合っている。こういう時って設計士としてはどんな心境なんでしょうか?キレイにとれた写真が無かったのが残念です。延床面積は 2,556u。
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 A満鉄関連施設 


【満鉄本社】(現:大連鉄路局) 場所:魯迅路(×安楽街と世紀街の間)

1906年に南満州鉄道株式会社が設立され、1907年に本社が東京から大連に移転。ロシア学校を改修して満鉄本社となったこちら。中山広場から魯迅路を400mぐらい真っ直ぐ歩いてくると向かって右側にあります。コの字をしていて、入り口は奥まった所になっています、全部を一度に撮影するのはできないほど大きいです。1930年代の女学生には人気No.1の会社だったそうです。満鉄時代のマンホールもありました。

※参照サイト 旧満鉄本社1:総裁室などの内部画像

現在でも財団法人 満鉄会という組織があります。


満鉄調査部】

1907年に発足。満鉄本社の前にの赤い建物。満州の調査にとどまらず、中国の調査部となっていき、当時では最高のシンクタンクであったそうです。調査員達は戦後の様々な分野で活躍。 政治・経済・産業・学業など秀でた人材を輩出。

1958年に満鉄調査部の影響を強く受けた財団法人アジア経済研究所(千葉市・美浜区)が設立された。


【満鉄大連図書館】(現:大連図書館日本文献資料館) 場所:魯迅路(×安楽街と世紀街の間)

1919年に大連図書館本館が建てられた。満鉄は各地に図書館を作ったが、その中心の役割をして、20万冊を超える蔵書数を誇った。 1943年には35万冊も超えていたそう。戦後も満鉄調査部の調査報告や関連資料は、大連図書館に保管されることになった。現在、日本文献資料館として残されている。

【満鉄大連医院】(現:大連大学付属中山医院) 場所:解放街

1925年竣工。当時はヤマトホテルから満鉄病院まで見渡せたようですが、今では周囲に高層ビルが立ち並んでいます。最初にタクシーの運転手さんにMAPに記載あった通り「鉄路医院に行きたいのですが」と言った所、「あっ、中山医院ね!」というので、内心?でしたが、着いたら正解でした。中にも入りましたが、多くの患者さんがおり、今でも病院として使われている事がよく分かりました。立派な建物でした。当時ここで産まれた方がおっしゃるには、既に帝王切開が行われていたそうです。東洋一の病院だったというのも頷けます。


【満鉄本社周辺】
何度か散歩しましたが、古く頑丈そうな建物がいくつも残っていました。日本統治時代の名残がかなりあって、タイムスリップしたような気分になりました。古い葉書には、馬車や着物姿日本人らしき人々なども映っていてどれも開放感があるのですが、現在は高層ビルが遮り、遠くまで見渡すことはできません。印象が随分異なります。満鉄本社の車寄せなどは素敵なカーブを描いたまま残っていました。復刻版のちんちん電車も走っています。新型も走っていますが、どちらも共存していて新旧楽しめます。
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 B大連港

【大連港】

1898年に帝政ロシアが清王朝から租借し開港したことに始まる。上海に次ぐ中国2位の国際貿易港。帝政ロシアが一年中凍らない良港を探してたどり着いたのが大連。建設時:ロシア→統治時代:日本→終戦後:ソ連→1960年:中国と色々な歴史のある大連港。現在では上海・韓国などへの観光フェリーが発着している。

満州の最後の引き揚げ船に乗った方の話を聞いた所、荷物は一人一つという制限のもと、詰められるだけ詰めて、洋服も着られるだけ全て着こんで、この埠頭の突き当たりに泊まっている船まで、ソ連兵が両側で厳重に監視する中、歩かされたとのこと。この状態で船に乗り込むや、お父様は泣き崩れていたという。戦前はいつもこの船乗り場に来て、美味しいコーヒーを飲んでいた少年が見た最後の光景がこれほど惨いとは・・・。しかし何よりひどかったのは当時の役人達であったという。それは後ほど・・・。


【大連埠頭事務所】(現:大連港務局) 住所:港湾街1号

1926年竣工。船客待合所の向かいの埠頭事務所だった。6年の月日を費やした大建築はレンガ造り7F建ての建物は当時、大連一の高層建築であり、大連港に船が入ると、まず目に入る建物だったそうです。エレベータで中に上がった所、突然20元の入場料が必要と言われ驚きましたが、片言の日本語を話せる女性ガイドが一人ついて色々説明を受けました。意外とこれが良かったです。最後はお土産コーナーもありました。いくつかの日本人ツアーも来ていました。ここからの眺めが一番です!大連港を上から一望できます。


【満州重要特産取引所】
1923年建設。大豆、豆粕、豆油などの重要物産品と、金票、銀票を扱う取引所。

ライオン2匹がお出迎えしてくれますが、車寄せのカーブなどが素敵です。重厚でしっかり造られているのが遠目でもよく分かります。

●港湾広場 住所:五五路62号

中央に鄭和宝船という船があります。「大連が追い風に乗り、世界へ向けて前進する」という意味合いを込められてるそうです。大連浪淘沙休閑酒店(港湾街1号、8262-8888)はローマ宮殿のような造りですが、大型のマッサージ店。

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 C大連駅 音声案内:16823456
1903年にロシアによって建設された大連駅。日露戦争後に日本に渡り、1937年に満鉄の太田宗太郎によって上野駅のように設計されたそう。駅の構内を見学したいと思って行った所、入るだけでも入場券(当日のみ有効)を買うように言われ、2Fの端の小さな窓口で購入。実際入ってみたら驚いたのですが、2Fが出発ロビー、1Fが到着ロビーと空港のようになっていました。中は随分キレイになっており、電光掲示板でハルピンなどの東北地方から上海などの南行きの電車まで出ていました。昔ここに来た人曰く、随分大きくなったとのこと。上海の花園飯店のように建物の増築された部分と昔の部分が分かれていました。2.4万u、収容人数は6000人だそう。

瀋陽までは特快で4時間、長春までは管内で10時間、ハルピンまでは特快で12時間、上海までは特快で24時間です。電車内で問題と言えば、やはりトイレ!男性は比較的大丈夫かと思いますが、女性は本当にキツイのでは?と思います。飛行機の方がキレイ&早いのでオススメです。チベットの青蔵鉄道の1等車や上海〜南京や杭州の新幹線以外は厳しかったというのが本音です。

駅の外に出ると、煙台−大連の船のチケットが何ヶ所かで売っていました。大連からは3時間ぐらいで200元前後でした。陸・海・空の全部が便利な都市ですね。

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 D周水子国際空港


空港から市内まではタクシーで約20分&30元程度と近いので便利です。随分キレイで広く開放感のある造りとなっていました。

満州時代に住んでいた方から聞いたお話。終戦後に引き揚げの時〜最初の日本行きの飛行機が出るという話をAさんから持ちかけられ、Bさんは乗るか乗らないか考えるため1日待って欲しいと言った。そして早朝にBさんはAさんに電話した所、繋がらなかった。直接家に行ってみると、そこはものけのからだっと言う。Aさん達はその最初の飛行機でさっさと帰国してしまったという。結局その飛行機には役人・医者などのみが乗っていたという。Bさんは後ほど船で日本に帰るものの、満州に残された日本人を見捨てた人々が国を守る側の人間だったとは・・・。
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 Eロシア風情街  住所:西崗区団結街

中山広場から上海路(旧大山通)を板に真っ直ぐ行くと、日本橋(現:勝利橋)があり、その先にロシア風情街があります。橋の正面に見えるのが日本橋図書館(現:大連芸術展覧館)で、1902年に東清鉄道(満鉄)として建てられたロシア建築。建て直し後に美術館となっています。随分観光地化されていますが、近くには満鉄の社宅が並んでいます。どれも欧風の家で当時の生活が偲ばれます。

ロシア風情街は北に真っ直ぐ延びていますが、その突き当たりには以前大連自然博物館・満蒙資源館として使われていた建物があります。目の前の噴水には水が無かったのですが、近所の子供達が楽しそうに遊んでいました。この子達はこの街を見ながらどんな風に育っていくのかな?なんて思ったり。左手にあった大連船舶技術学校(赤と白の建物)は、1900年頃に東清鉄道(満鉄)の技師長サハロフの官邸として建てられ、彼が市長を兼ねた時には市長公邸、後にに満鉄総裁公邸となったそう。ヤマトホテルの新築前には賓客の接待にも使われたとのこと。このメイン通りでは色々なお土産が売られていますが、いまどきのグッズばかりで・・・マトリョーシカなどは現代版ですね。昔の木のぬくもりのあるデザインなどは無く残念でした。



●裏道散歩〜満鉄の社宅〜

メイン通りと平行している道に東清鉄道汽船(日露戦争後に長春以下が満鉄に譲渡された会社。)の社宅がたくさん並んでいます。最初はてっきりロシア人が住んでいた住宅街かと思っていたのですが、当時の満鉄を知っている方がこれらの住宅に付いている社印を見て、「これらも満鉄の住宅だよ!」と教えてくれました。アモイのコロンス島のような洋館ばかりが並び、その中では多くの中国人が暮らしていました。こんなにオンボロになっても使ってくれていて驚きました。もうじきこれらも全て壊されるそうで・・・本当に残念でなりません。


【日本橋郵便局】(現:郵便局)

1930年に竣工。当時も今も郵便局として使われています。目の前に路面電車203路(大連駅−東海公園)の勝利橋駅があります。実際行ってみると、ロシア風情街は新しくなってしまって歴史の重みを感じられないので、逆にこの郵便局の方が存在感がありました。ロシア風情街を1時間近く歩いたのですが、この辺にはファーストフード店や喫茶店など休憩できる場所が無いですね〜。

【日本橋】
(現:勝利橋)

1899年に帝政ロシアによって建てられた当時の名はロシア橋で、日露戦争時に崩壊。1907年に日本が造り直し、日本橋に改名。鉄筋構造のアーチ橋で、長さは108m、幅は16m。東京の日本橋のように上に高速道路は走っていないのですが、車がビュンビュン走るので、随分補強しているかと思われます。脇にはフェンスも取り付けられており、昔の絵葉書の印象とは随分異なりました。

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 F日本風情街(南山旅遊風情街) 住所:楓町(現:南山路、楓林街)

ロシア風情街と同様で、随分と再開発されて新しくなっていました。名前も南山旅遊風情街となっていました。この通りはほとんど日本統治時代の面影はありませんでしたが、少し離れた道にはまだまだ残っていました。写真を撮りながら歩いていた所、一人で旅している中国人女性に「どれが有名な建物なんですか?」と聞かれました。日本統治時代に日本人が住んでいたことすら知らなかったので、逆にこちらが驚きました。上海でも虹口地区に日本人がたくさん住んでいたことを知らない若者はたくさんいます。60年も前のことだから、当たり前と言えば当然かもしれませんが・・・。昔ここに住んでいた人は別にして、観光としては特に見なくても良いのでは?と思います。


●高爾基路民居
旅順からの帰り道で偶然見かけた社宅群。凱楽酒店より西側で、ずっと続いていました。日本統治時代の社宅群かと思いますが、中国の方がそのまま使用しているようでした。車内からなので、よく撮れていませんが一緒に掲載しておきます。上の南山よりもコチラの方がリアルな感じが漂っています。多くの日本人が暮らしていたのでしょうか?当時が偲ばれます。

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 G日本統治時代の建物
 
【関東州庁】(現:大連市人民政府)&【高等法院】(現:大連市司法局) 場所:人民広場

中山路に平行して続く建物は1937年創建の関東州庁。目の前には広い道路と公園がありました。中山路と垂直に位置するのが茶色い建物の高等法院。安田講堂と似ている気がしました。ここは歩くとかなり距離があるので、タクシーなどから眺めるので十分かと思います。
 
【日満盛進商行】(現:大連市酒類専売事業管理局) 住所:山縣通41番(現:人民路)

1930年代に日満盛進商行があった建物です。現在はほかバーなどにもなっている赤い建物ですが、中村さんのブログには1920年代にはアメリカ領事館になっていた時期もあると記載されていました。関東軍や甘粕さんもよく訪れていたというバーです。ここのオーナーと知的美人の奥さんの結婚式は当時リゾートホテルとして有名だった星ヶ浦ヤマトホテルで行われ、当時新聞にも掲載されたそうです。ご存知の方いらっしゃったら、是非ともメールを下さいませ。

※参考ブログ:中村與資平記念館別館(HP)





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 Hその他 〜気になった建物など〜

日本統治時代の建物などは一部ですが、気になった写真を掲載しておきます。大連には昔の日本を発見できるスポットがたくさんあるので、是非色々歩いてみて下さい。歴史を振り返りながらの旅行も楽しいと思います。大連で生きた多くの日本人の話が語り継がれていく事を何よりもお祈りしております。
新華書店:大連で一番大きい
大連日報社
三越(現:秋林女店) ピンク
大広場小学校(現:第16中学)
魯迅路
同興路3号
民康街10号(×同興街)
オリンピック広場
 
路面電車 新旧が入り混じってます!
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 I星ヶ浦(現:星海広場) 住所:西崗区星海広場

1909年に満鉄が星ヶ浦ヤマトホテル、海水浴場、ゴルフ場などをあわせ持つ総合リゾート地として開発。当時の人工海岸として造った星ヶ浦は、現在のの面積の2〜3倍だったそうです。現在でもアジア最大の広場となっています。何故このヤマトホテルは取り壊されてしまったのか・・・。当時、ここで挙式をして新聞に載った方もいたりするほどすごいホテルで、西洋人には”スタービーチ”として有名だったそうです。春節の時期にはここで花火が行われます。2008年に行った時はあまりの寒さで凍えそうでした。会場が広い上に遮るものが何も無いので超寒い。いざ温まろうと思えば今度はレストランがかなり離れており、着いたら今度は満席で入れずとかなり参りました。地元の人は皆マイカーで来ており、会場でタクシーを捕まえるのはほぼ無理でした。一年を通して色々な祭典の会場にもなっています。

※参考記事:満州写真館 大連市星ヶ浦

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 J大連のレストラン
 
【日本料理】うまい鮨勘 住所:延安路78-1号 пF0411-8264-7130

日本人駐在員の方にオススメいただいたお寿司屋さん。大連は美味しいお魚がたくさんあって大感激。鮮度が良いためか?かなり美味しかったです。お値段もそれほど高くなく良心的でした。中国産のサッポロビールがあったのですが、これはすごく薄〜いですね。なかなか中国ではエビスのようなビールは無いです。お店は多くの日本人で賑わっていて、あちらこちらから日本語が聞こえてきました。


 
【日本料理】大江戸 住所:勝利広場18号3F пF0411-8280-8888

ラマダホテルに滞在した時にお世話になったお寿司屋さん。最初に行った時は夜だったので食べ放題(2700円程度)で満腹になりすぎ、パタっと眠りについてしまいました。食べ放題の時は食器が居酒屋さんのようで、よくあるような和食店のように思いました。別の機会に5人でランチに行ったのですが、その時は個室を予約し、特に+αの料金もなく、和室の畳に堀りごたつ式のテーブルでゆっくりできました。食器も夜の食べ放題の時よりキレイに整っていたので、見た目も良かったです。オススメはかなりボリュームのあるランチ定食です。値段もホテルの割りにはお得で、ランチも1000円程度でした。



 
【日本料理】餃子の王将(大連商場店) 住所:青三街路1号 пF0411-8368-2596 ★支店あり

東京では入ったことの無かった王将。一番最初に入った2008年は日本では毒入り餃子の事件で持ち切りでした。その頃ちょうど行ったのですが、とりあえずラーメンと餃子を頼みました。10分ほどしてから来た餃子を食べた所、何と「ガリガリ・・・」という音が・・・。瞬間的に「あっ、まずい!あれか?」とよぎり、怒りがこみあげてきました。口からそのガリガリを出してみた所、何と1元玉でした。更に怒りが出てきて「衛生管理どうなってんの?」と説教しようと思い、店員を呼びつけるや、突然彼が笑顔になって「あったり〜!餃子券GETですね〜!」みたいに喜んでくれて・・・。確かに彼が指差した広告を見たら何と本当でした。周りのお客さんも「ヤッタね!当たったね!」みたいに喜んでくれて、逆に私が恥ずかしくなりました。

後日ガイドの方に聞いてみた所、中国の一部では春節に水餃子を食べる習慣があるそうで、コイン入りの水餃子を食べた人は一年が幸せになるそうです。昔小さい頃にコイン入りの水餃子を食べた方にこの話をしたら、「私も昔当たったよ〜!」と懐かしそうに思い出されていました。中国に来るとなぜか怒っている自分に笑ってしまうような出来事が度々起こり不思議だらけです。


 
【海鮮料理】天天漁港 住所:人民路10号 пF0411-8280-1122 ★支店多数あり

大連と言えば天天漁港というぐらい有名な海鮮チェーン店。生簀から好きな魚や貝を選び、好きな方法で調理してもらいます。重さは斤(ジン)という500g単位でした。お鍋や肉類は値札と共に展示されているので、それを頼んでもOKです。大連では時期さえ合えば、新鮮なアワビ、ウニなども食べられます。小さければ90元ぐらいから食べられます。調理法が分からなければ全部お店にお任せしてしまえば簡単です。生ウニはそのまま、アワビは蒸すのが一番美味しかったです。エビは小さいのは普通に茹でて、大きいのは焼いて塩をつけてもらいました。白身魚は炒めたり蒸したり色々な味で楽しめました。私は苦手ですが地元ではナマコが人気のようでした。チャーハンや焼きそばもあるので、最後に注文すると良いかと思います。人数にもよりますが、7人で行って100元/人程度で満腹になりました。




鍋に具材たっぷり!

生ウニ最高〜!

淡くて美味しい白身魚

アワビも小ぶりから大ぶりまで色々
 
【満州料理】大清花 住所:五五路店 пF0411-8280-1118 ★黄河路653号に支店あり 6699-6666

乾隆38年創業の満州餃子のお店。清朝時代の宮殿風になっていた店内。満州族(満族)がよく食べていたという水餃子を注文しようとメニューを見たら、実に色々な種類があって選ぶのに時間がかかってしまいました。中身が羊・鳥・豚・牛・エビなど色々あります。全て食べましたが、エビなどの海鮮が一番美味しく感じました。羊はクセがあって好みが分かれそうです。牛・豚も日本とは異なり素材の味が強く出ているように思いました。焼き餃子などもありました。他にもスープや野菜炒めなどがありましたが、ご飯類は無く、水餃子が主食となっていました。1Fで食べましたが、2Fの方が広く落ち着くスペースとなっていました。トイレはいまいちで断念しました。もう少し観光向けにしてもらえると嬉しいのですが・・・。


 
【四川料理】皇城老[女馬] 住所:港湾橋港湾広場3A号 пF0411-8306-6666

火鍋が食べた〜いとリクエストしたら、ホテルの人が教えてくれた四川火鍋のお店。この日も到着するや2Fは満員御礼でした。激辛と白湯の鴛鴦鍋で羊肉や海鮮を堪能!やっぱり魚介類が美味しい!上海で食べるよりもっと美味しい!大連最高〜!と思った夜でした。胃がお疲れの方は白湯に野菜や海鮮を入れてサラっと食べるだけでも良いかと思います。


 
【大連料理】凱楽酒店 住所:唐山街花園広場3号 пF0411-8367-5555

旅順ツアーに付いていたランチでこちらへ。正直ツアーの昼食だから気にかけていなかったのですが、リクエストを聞かれたので、「有名な大連料理を宜しく!」と伝えた所、随分色々出てきました。水餃子3種類、お魚、お肉に野菜炒めと色々な東北料理を味わいました。どれも淡い味付けで食べやすく日本人に合っているなと思いました。食材が豊富だなぁ〜という印象を受けました。このお店は大連料理では結構有名だとか、大連料理は美味しいなど色々ガイドさんが説明してくれたのですが、食べるのに夢中で忘れてしまいました(笑)。


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 KショッピングSPOT

【勝利広場】
大連駅前の地下に広がるショッピングセンター街。若者向けのファッション、ネイル、バッグなど色々あります。夜は8時ぐらいで閉まるお店が多かったです。入り口がたくさんあり、方向がいつも分からなくなってしまうので、何か目印を決めておくと便利です。




【天津街】
ラマダホテルの脇から続く雑貨店の集まる通り。夜になると色々な出店が集まってきて賑わっていました。こちらも若者向けのファッション系のお店が多かったです。休日はカップルや若い子のグループで混雑していました。




大連商場(旧:大連市場)
大連駅の北側にある大連商場。ブランドものから中国のものまで色々あります。スイスホテルと同じビルに入っているマイカルと並んでいました。マイカルにはお土産も売っているので、この辺をブラブラすれば良いかと思います。大連地下商場もありました。






百年城
解放街19号にあるガラス張りの建物がこちら。近代的なビルでマック、吉野家、スタバなどが入っています。ここで何度お茶したことか・・・。休日のスタバはかなり混んでいて、満席のこともしばしば。オシャレにコーヒーを楽しみたい方にはオススメのスポットです。夜は9時まででした。

大連新世界百貨


大連新世界百貨
New Mart


大連には百貨店やショッピングセンターなどが多数あります。買い物には困らないかと思います。しかし、いざ日本人へのお土産を買おうと思って探すと、難しいことに気が付きます。お手頃な価格で中国らしいお土産はとても少ないです。

生活用品は日本と同じぐらい揃っています。雑貨を探せば、アクセサリーはほとんど韓国産だったり、洋服やバッグは妙に中国風だったりして、日本人が求めるレベルにはまだまだといった感じ。

逆にありきたりなマトリョーシカや大連の絵葉書はあげるわけにもいかず・・・。というわけでオリジナル印鑑や小物入れなどが良いのでは?と思いました。エスプリの洋服は日本に無いので意外と喜ばれました。

パークソン・百盛


和平広場
万達国際電影城(映画館)
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 L大連市内のホテル
 
【ラマダホテル大連(大連九州華美達飯店)】 住所:勝利広場18号 пF0411-8208-8888

このホテルはFUJIKOオススメ。観光に便利、朝食に和食バイキングあり、コスパも良いのでトータルでGoodかと思います。疲れたらホテル内の大江戸で昼食や夕食もとれるので、年配の方でも安心かと思います。目の前には大連駅や勝利広場(地下のショッピング街)、天津街もあり、色々と便利です。路面電車の駅もあり、ちょっと観光して疲れたらホテルに戻ってくることもできます。部屋は大連駅側の高層階がオススメです。


 
【民航大厦】 住所:中山路143号 пF0411-8363-3111


日中合弁で1988年にオープンしたこちらのホテル。労働公園の目の前に位置し、近くには森茂大厦や森ビル通りという居酒屋街もあります。朝食は定食でしたが、美味しい和食でした。大連に駐在しているらしき年配の日本人の姿もちらほらありました。

全体的に古めな感じでしたが、機能的には特に問題ありませんでした。客室からは目の前に労働公園の巨大なサッカーボールや観覧車などが見え、丘の上には大連テレビ台などもありました。夜になるとライトアップされキレイでした。ちなみに、労働公園は帝政ロシア時代の1899年に建設が開始されたそうで、市内最大の面積の公園だそうです。部屋は労働公園側の高層階がオススメです。


【スイスホテル大連】

【シャングリラホテル大連】
【フラマホテル大連】
 
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 M大連の雑誌・本・絵葉書・お土産など
日本料理屋やホテルにフリーペーパーが置かれています。日本語の本も他の都市に比べて多く売っています。『これで安心 大連ひとり歩き』は日本の観光ブックよりも色々細かく書かれていてとても役立ちました。お土産ですが、日本人に喜ばれるものは少ないですね。ホタテやアワビは人気のようで、スーパーや空港で売っています。

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