TOP >> 中国旅行特集 >> 拉薩(ラサ)  ◆前半の西寧・青蔵鉄道編は後日UP予定です。
 
自分や自然と向き合って生きることの奥深さをこの地で身をもって体感。
  ★2008年1月の内容です。2008年3月15日現在、情勢不安に伴い、渡航不可となっているようです。最新情報をご確認下さい。

日本に帰国する前に一度は行きたいと思っていたラサ。行くからにはチベット仏教を信仰している巡礼者をこの目で見たい!ということで敢えて真冬を選び、元旦に行く事にしました。

この時期の気温は−10℃〜10℃と、雪が降った上海より暖かく感じました。日中は紫外線がとても強く、車に乗っていると暑いぐらいなのに、日没後はかなり冷え込みました、寒暖差が20度以上のこの地で生きるのは本当に大変だと思いました。冬特有の問題は寒いために更に空気が薄くなること。ラサは標高は富士山の山頂と同じくらいで、地上の80%程度の酸素しかありません。生死の境を近く感じた今回、真に生きることの意味を体感でき、最高の旅となりました。


 @ラサ駅&B記者が高山病に!
 Aジョカン(大昭寺)&バルコル(八角街)

 Bポタラ宮(布達拉宮/Potala Palace)
 Cノルブリンカ宮殿
 Dセラ寺、デプン寺
 E神湖大酒店&雅魯蔵布大酒店


 ※前半編(西寧・青蔵鉄道)は後日UP!




ラサの市内観光箇所の説明が一番詳しかった本。オススメ。チベット自治区や青海省も!


チベット全土からネパール・ヒマラヤに渡る広範囲を網羅している本。ラサに関しては30ページ弱。


A4変型(297mm×235mm)の薄くて軽い本。CGのタール寺や寺本婉雅などの特集あって内容が面白い!


青蔵鉄道の見所を写真を交えて説明している本。ちょっと重いですが、説明の無い車内では役立ちました。


こちらは青蔵鉄道について日本人が書いた本。去年初めて読んで、行きたくなったきっかけの本です。


20世紀最大の中央アジア探検家と言われるスウェン・ヘディンの3回の遠征の克明な記録の数々!


青海省に留学した日本語教師が漱石の『坊ちゃん』をチベット語に翻訳!色々含んだ体験記。
 @ラサ駅&B記者が高山病に!

今回の個人ツアーの行程は上海⇒(飛行機)⇒西寧⇒(青蔵鉄道)⇒ラサ⇒(飛行機)⇒上海。全てスケジュールを立てて、上海中国青年旅行社にお願いを!冬は夏よりも随分安いのでお得に!全てガイド&運転手付きで観光したのですが、ラサのガイドさんはチベット人の大学生の女性でした。

さて、事前準備として、まずは出発の1週間前ぐらいに高山病予防の薬(ダイアモックス)を探しました。上海の色々な病院に電話した所、保険が効かないとの理由で、どこも1万円程度。しかしある病院では「ダイアモックスは無いけれど、まだ若いから青蔵鉄道に乗る頃にこのアスピリンを飲む方が良い」とのアドバイスをいただき、そうすることに。要は体中に酸素を多めに送るようするために、血液の循環を促すことが大事だそう。

ラサ駅のプラットフォーム

到着した列車

青蔵鉄道開通1周年

改札口では券は渡さずOK

夜10時半にラサ駅に到着。ホテルに着くやシャワーも入らずただ寝ることに。翌朝はB記者の頭痛が軽かったので、ガイドさんと3人でポタラ宮とジョカン&八角街へ。しかしその夜に事件が・・・B記者は早めに就寝したのですが、深夜0時頃から呼吸が苦しくなってきて酸素缶で酸素吸引を開始。急に熱も出てきたので、アスピリンではなく持ってきたバファリンを飲み、再度眠りに。私は2時頃にあまりの頭痛で飛び起きて慌ててバファリンを。頭も心臓もドクドク、バクバクの繰り返し。朝5時頃にようやく痛みが除去され何とか生き延びました。(部屋には酸素缶の他にも紅景天(高山病の薬)もありましたが、もっと悪くなったら・・・と思い却下。) B記者は翌朝以降も体調が優れず、大半はホテルで休んでいました。食事もほとんど食べられず、可哀想でした。しかし、成都の観光中に少しずつ良くなり、上海に着くや完全に元通りに戻っていて安心しました。

上海に戻った頃に下記のような記事が出ていました。残念なことに、これほど高山などの自然が危険だというのに、ガイドブックなどには深刻な記事がほとんど無いのが現状です。日本人の安全のためにも、チベットの自然の厳しさなどをもっと伝えるべきだと思います。一般的な中国旅行(上海や北京行き)などとは違って、本当に命取りになる可能性もあるということをココでお伝えしておきます。参考にして下さいませ。

 ※参照:『中国“秘境の旅”ご注意 半年で日本人8人が死亡』(イザ!/2008.01.17の記事)
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 Aジョカン(大昭寺)&八角街(パルコル)

●ジョカン(大昭寺) 

ラサの中心にある最も聖なる寺院で、巡礼者は皆ここを目指してチベット全土から訪れるとのこと。ポタラ宮の方がよく知られていますが、ここが本当の聖地です。2000年に世界遺産に登録されました。しかしいつ建てられたかははっきりしていないそうで、定説は7世紀にソンツェン・ガムポ王の死後にネパール人の王妃が夫のために建てたとか。それがヤギ(Raラ)によって運ばれた土地(Saサ)だから、ラサとなったとか。又はそれで神(Lhaラ)の土地(Saサ)になったとか。言い伝えは色々。

大昭寺の前に集まる人々

近づくと五体投地を行う人々が

でもお昼休みはみな席外し

この場所は、とにかく燃えているお香とバターの臭いが混ざって濃厚の香りが漂っている上に、皆が五体投地を繰り返すので、ホコリっぽいのです。その上スリが多い場所らしく、たどり着くまでに大変。着いたと思ったら巡礼者の長い行列。後尾の人には3時間待ちだと言われて唖然。でもそこはガイドさん。観光客扱いでスカスカっと間を抜けられました。冬になるとこんなに来るんですねぇ〜。いやぁ〜冬に来て良かった♪

まずは暗い観光客用の道を通り抜けて中へ。すると中庭みたいな所があってひかりが差し込んできました。それから中央にあるジョカン本殿へ。チベットではコルラという時計回りの決まりがあるので、その通りに進みます。ジェ・リンポチェ・ラカン(歓喜堂)ではツォンカパと8人の弟子がいました。進んでいくと11面観音がありました。これが観音堂だそうで、観音像はチベットの最も聖なる仏像との1つだそう。本物は14世と共にダラムサラにあるそう。一番奥にある釈迦堂が本堂。これまたすごい人。大渋滞。ガイドさんに最初にもらった白いシルクのスカーフ・カタを置いていく人多し。

2Fは人が居なくゆっくり出来ました

ここがジョカン。下にはすごい人。

上から八角街を眺めてみました

次に2Fへ行く事に。何とここは巡礼者が上がれない場所だそうで、私達ぐらいしか居ませんでした。暖かいのでゆっくりベンチで休むことに。ふぅ〜眺めが良いなぁ〜。下を見ると相変わらず大渋滞。バルコルは楽しそうな熱気がムンムン。早く行きたいなぁ〜と思ったり。でも焦らず、慢慢走(マンマンゾウ/ゆっくり歩こう)と自分に言い聞かせ。晴れた日はここからの景色が最高です!ジョカンは本殿のことで、その周りにはトゥルナン寺という建物が取り囲んでいて、これらをまとめてジョカンと言ってるそうです。1Fの回廊にはマニ車が続いています。※1Fの内部は撮影不可です。

大昭寺の正面にある黄金の鹿たち 左後ろにはポタラ宮が見える

ポタラ宮を拡大してみると・・・こんな感じ
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●バルコル(八角街)

実は毎日ガイドさんと一緒に通ったバルコル!今回の旅の目的はここでのショッピングもありまして・・・旅行社にもガイドは絶対にチベット人の女の子とリクエストしてまして・・・やっぱり値引率が違うんです!以前行ったカシュガルでもウイグル語が話せるガイドさんだと全然違いました。ジョカン周辺はチベット人が多く住む旧市街で、ポタラ宮より西側は漢民族や回族が住む新市街なのですが、どんどん漢民族の進出が進んでいて・・・これが現状です。結婚の際にもチベット人女性には色々な制限があって、人種に関する問題は色々と複雑です。やはりウイグル人女性と同じような感覚があるのを知りました。女同士の話は世界共通で、何時間でも話せるものですね。

巡礼者や地元の人が続々と

外側では回族の姿もよく見かけます

マスク、線香、バター、お土産なども

今回のガイドさんは宝石の目利きがすごく、たくさんの石の中からコレってズバっと見抜いてしまう。親戚に宝石屋さんがいるとか。私の目的の品は、サンゴトルコ石天珠の3つ。お土産用として選び始めたものの、どんどん自分のも欲しくなる・・・どうしてだろう?なんて思いつつ、初日は選ぶこと2時間。翌日は1時間半。ガイドさんが値切った上に、更に私が+αの値切り交渉を中国語で開始。最後には店員から「夏場だったら絶対にこの値段では売らないよぉ〜冬に来て良かったね!リーハイ!」と。チベット産の商品は上海に行くと3〜5倍、東京に行くと10倍ぐらいになるものも多いそう。なぜチベットでサンゴかと言うと、昔は海の中だったんです〜この辺は。隆起して山が出来上がったのです。だから希少価値のチベット産の石があるのです。私は事前にネットで上海や東京でのピンキリの相場やグレードについて研究しましたが、だいたいの価格と品質の見分け方さえ確認しておけば、優れた商品に出合えると思います。あと露天の物は大半がニセモノなので、正規のお店での購入が良いです。必ずチベット語か中国語の出来る人と一緒に買って下さいね。観光客向けの価格は3〜10倍ぐらいですから。

宝石屋は多数あり

露天も多数あり

香辛料を売るチベット人

緑の三輪車が可愛い
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 Bポタラ宮 ≪布達拉宮(bu4da2la1gong1)/Potala Palace≫

ダライ・ラマ5世が1649年に大部分の建造を終えた宮殿(一説には7世紀のソンツェン・ガムポ王の時代からとも)で、1994年に世界遺産登録されました。現在はダライ・ラマ14世がインドに亡命(1959年)していますが、それまではここで実際に執務などが行われていました。ポタラとはサンスクリット語のポタラカが由来で、意味は【観音菩薩の住む山】とのこと。高さ115m、長さ300m以上の巨大な宮殿で、紅宮(ポタン・マルボ)と白宮(ポタン・カルポ)から成り立っています。白宮では歴代のダライ・ラマが生活したり仕事をしていたのですが、ダライ・ラマ5世が亡くなるや紅宮が造られ、内部には彼の霊塔などが建てられました。よって内部は複雑になっています。遠くから見ると紅宮の上に金のオブジェがいくつかありますが、これらはダライ・ラマ5世や8世などの歴代の8つの霊塔の先です。※夏場は入場制限があるとのこと。

中央の赤色が紅宮、それ以外が白宮

五体投地をする人々&巡礼を終えてその横を歩く人々 感動的でした!

入り口は向かって右側にありました。冬には巡礼者が多いということもあって、ポプラ宮に向かって五体投地をしている巡礼者が多数いました。私が本当に見たかった姿です。一心不乱にひたすら祈る気持ち、本当に感動する光景です。聖地ラサと言われるのが理解できました。知らなかったのですが、五体投地には2通りあるそうで、同じ場所で何回も五体投地を繰り返すのと、家からここまでひたすら道沿いに五体投地を続けるものがあるそうです。家から道沿いに来る場合は横を車が走ったり、荷物を持つ人が必要だったり、色々大変ということもあって、同じ場所で繰り返す人も最近は多いとのこと。

入り口をくぐると目の前に白宮が!

酸素ボンベ無しのため、10分で休憩を

山の下に薄っすらと雲が・・・

さて入り口に到着!と思ったら酸素ボンベは預かりとのこと。何と酸素無しで30分ぐらい山登り。ふぅ〜休憩しなきゃ続かない・・・。ということで、10分おきに休憩を挟みつつゆっくりと登ることに。途中のベンチで座ったらお尻が真っ白になったけど、景色を眺めつつ1歩1歩前進。日差しは暑いのに酸素は薄い。空気と太陽は別物のようで・・・と思っていた頃にデヤン・シャル(徳陽厦)に到着。意外と思っていたより近かったので一安心♪

デヤン・シャルからは撮影可能!

都市化が進んでいるラサ市内

周囲はマンションやビルが多いので驚き
出口にて。歩くこと2時間ぐらいでしたが、一生に一度見られたことに感謝感謝。圧倒されてあっという間に出口に来てしまった感じ。もっとヒッソリしていて、タンカに囲まれているような地味なものかと思っていたら、大ハズレ。チベット仏教は本当にスゴイと実感しました!

上記の階段を登ると、まずは白宮を通り、更に登って13世や14世の寝室や謁見室などのある東日光殿へ。そしてようやく紅宮へ到着!そこは紅宮の第4層で、弥勒菩薩に迎えられた後、7世が建立した立体マンダラ堂の檀場殿、デデン・キル(長寿楽集殿)などがありました。長寿楽集殿はここは6世の部屋ですが、彼は遺体も無かったので霊塔が無いとのことで部屋には牙などが祀られていました。聖観音堂の前にはあまりに多くの人が行列を作っていました。次は第3層へ。ドゥコル・ラカン(時輪殿)では立体マンダラがあり、その後何点かの仏があり、第2層へと思ったら通り過ぎて、第1層へ。これがすごい!何と言っても世界荘厳殿にある5世の霊塔(チベット人は蔵路耶夏と呼ぶそう)は17.4mで黄金3,7dとも5dの上、ダイヤモンド、サンゴ、めのう、トルコ石などの宝石の数々。何じゃコリャというレベル!あぁ〜本当にすごいよ、この宝石。金が最高値を更新する今日この頃。最も神聖な場所のココは完全に目に焼きつきました!全部の霊塔がすごいのですが、5世のを見たら他のが少々小ぶりに見えました。必見です!※紅宮の内部は撮影不可です。
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 Cノルブリンカ宮殿 ≪羅布林KA (luo2bu4lin2ka3)≫

元旦の宮殿は誰もいない静かな空間でした。1740年代にダライ・ラマ7世の夏の別荘として出来た離宮。ノルブ(宝)、リンカ(公園)と意味で、夏場は緑が覆い茂り、花も咲き、噴水もキレイとのこと。冬は池が凍り、閉鎖されている場所も多数あり、あまり観光には向いていません。

チケット売り場

売店の店員しかいないなぁ

今日の初めてのお客だそう

本当に誰もいない

メインはタクテン・ミギュ・ポタン(永久的に普遍的な宮殿)は、1956年にできた新しい建物で、中は西洋式の近代的な造りなので、14世があまり歴代の様式を取り入れていないそう。それで良いのかな?と思いつつ、ガイドさんの説明を聞いていました。中には動物園などもあります。今回は13世の離宮などは閉鎖中でした。1959年のチベット動乱時に14世はここからインドへ亡命しました。昨日(3/18)のニュースによると、14世はチベット人による暴動が中国でさらに拡大し収拾不能となった場合は退位すると発言したそう。対話での解決を望むばかりです。
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